浅川義治の政治理念

幸福追求権を保障すること


現代国家の政治の目的、言い換えると今の政治家に求められることは、何でしょうか?

私は、「国民の誰もが、幸福を追求することの出来る権利を保障すること」だと考えます。

政府が国民に保障する幸福追求権を、政治家が守り増進させていくことが最も重要なことだと考えます。

そのために、良い環境や平和、福祉が必要とされます。

決して環境や平和、福祉そのものが政治の究極の目的ではありません。これらは、国民の幸福追求権を保障する重要な条件です。

そして、幸福を追求する権利は、あくまで「権利」であって「自由」ではありません。

国家を前提としなくても存在する「自由」と異なり、「権利」は、国家の存在が前提です。

だから「国民の前に国家の存在が大事」、とはもちろん言いません。

しかし、「自由」が国家を形成する前に人間としての要件としてあるものと考えるのに対して、「権利」は「自由」を要件として持つ人々が形成する国家に対して出てくる考えです。

そのため権利者である国民は、国家の状態に対しては敏感でなければならないと思いますし、政治をきちんと見ていかなければならないと思います。

 

では、「幸福」とは何でしょうか?

もちろん人それぞれの生き方で、人によって違うと思います。

音楽が趣味で、若い時からやり続けてそのままプロになって、多くの人にすばらしい楽曲を聴かせること。

仕事一筋に定年まで会社で勤め上げること。

好きな趣味を一生続けること。

起業して会社を大きくして社会貢献すること。

みな人それぞれの幸福だと思います。

 

国民が幸せを求めることを、政府がきちんと認めることによって権利として保障されます。

そして人が幸せを求める時に、良好な環境・平和・福祉が必要とされるのです。
 

私は、「現代国家」とは自由と民主主義を実現している国家のことを言うと思います。

と言っても日本の統治機構が、完全に民主主義の理念に貫かれているとは思いません。

統治機構の不備を埋めるためにも、良質な政治家が良質な政治を求めなければならないと思います。


国民の幸福追求は、もちろん「公共の福祉」によって制約を受けます。

この制約の考え方によって、政党が異なるのが現代政治です。

社会主義・共産主義は、「公共の福祉」以前の問題で、政党が異なる理由とは思いません。

歴史的にも、社会主義・共産主義を目指していたあるいは今も目指している国家は、その実現と引き換えに個人の幸福追求を抹殺してしまっています。
 

現代政治の目的、政治家の責務は、個人の幸福追求権を公共の福祉に反しない範囲で最大限保障することです。

それには、国家の存在が前提とされるがゆえに、個人と国家の関わり方を私達は、充分注意していなければならないと思います。

 

私は、そういう意識を持つ方々と共に私自身が道具となって、政治を良くしていきたいと思っています。

 

 

たしかなこと

「政治に目を瞑ることは、明日に目を瞑ること」


3.11の震災後に書いたものです。

 

大震災の影響を受け、何人かの方から「このような状況で選挙をするのはおかしい」との声を聞きました。

全くその通りだと、私も思います。

出来ることなら、横浜市でも3月ほどは延期したほうが良かったと思っています。

 

「こんな状況だから、投票へも行かない。」という声も聞きました。

しかし、このような状況だからこそ政治が重要なのです。

たしかに、今の政治状況にうんざりされる気持ちはよくわかります。

大震災の被災者の映像が毎日映しだされる中、国の政治家が機能していないのではないかとつい思われがちです。

でも、この大地震も、原子力発電所の事故も全く予見できなかったわけではないことが示されています。

政治家は、どのように小さなことでも細心の注意を払い、未来を見つめなければなりません。

そうであるなら、政治家はこの統一地方選挙でこそ、多くの国民に、この大震災以降の地方と国の未来を語り、論じ、そして示されていかなければなりません。

「こんな状況だから、棄権する」という方に、是非もう一度考えていただきたいと思います。

朝日新聞に、大船渡市の震災直前に亡くなられた平田武市議会議員の記事が出ていました。大津波の発生時に、小学校の児童が高台へ非難しやすいようにと非常通路の建設を市に要望していたそうです。

今回、その非常通路のおかげで、小学生が助かったと報じています。

 

平田武さんのような政治家が、この選挙で多く誕生することを心から祈っています。

2011年3月

 

大船渡市 故平田武市議の記事
大船渡市 故平田武市議の記事